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初霜(はつしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦〔#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』〕。一等駆逐艦初春型の4番艦である〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|初春型|初春、子日、若葉、初霜、有明、夕暮』〕。太平洋戦争緒戦では南方作戦・蘭印作戦に従事、以降は北方戦線で行動した。坊ノ岬沖海戦からも生還し、終戦直前に機雷に触雷して沈没した〔。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)初霜に続いて2隻目となる。 ==艦歴== 1932年(昭和7年)10月1日、日本海軍は浦賀船渠株式会社に駆逐艦1隻の建造を命じた〔#初霜工事概括表p.3『浦海機密八第一四號ノ一七ノ二 昭和八年十一月一日 海軍大臣 大角岑生殿 驅逐艦初霜工事概括表ノ件 謹啓昭和七年十月一日附建造御下命相蒙リ候驅逐艦初霜昭和八年十月三十一日進水セシメラレ候處進水作業中事故ノ爲中止ノ止ムヲ得ザルニ立到リ候ニ付テハ昭和八年十一月四日再興致シ度候間特別ノ御詮議ヲ以テ御許可被成下度此段奉懇願候』〕。12月10日、制式に初霜と命名した〔。また姉妹艦2隻(有明、夕暮)等も命名された〔。 浦賀船渠で1933年(昭和8年)1月31日に起工〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『初霜|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|8-1-31|8-11-4|9-9-27|(艦装備略)』〕〔『八.一.三一.一二一七 有線 浦賀發 着(一九九六)浦賀船渠社長 大臣 電報 驅逐艦初霜本日起工ス。』〕。同年10月31日、初霜進水式の最中に事故が発生、浦賀船渠は進水を中止する〔〔#初霧進水の件pp.1-2『(略)本年十月三十一日駆逐艦初霜ニ命名シ之ヲ進水セシメラルルニ當リ進水台ノ故障ニ依リ竟ニ之ヲ中止シ更ニ十一月四日再興ノ上進水セシメラルルノ止ムヲ得ザルニ到ラシメシハ甚ダ遺憾トスル(以下略)』〕。 11月4日に進水式をやりなおした〔〔『驅逐艦進水 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造ノ驅逐艦初霜一昨日四日午後四時進水セリ』〕。建造途中で同型艦初春の復元性能不良が判明し、改善工事を施す。 1934年(昭和9年)2月1日、松原博少佐は初霜艤装員長に任命される〔昭和9年2月2日付 官報第2124号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958597 p.6〕。2月12日、浦賀船渠に初霜艤装員事務所を設置する〔『○事務所設置 驅逐艦初霜艤装員事務所ヲ浦賀船渠株式會社内ニ設置シ本月十二日ヨリ事務ヲ開始セリ』〕。 初霜は9月27日に竣工〔〔#艦船竣工細目pp.3-4『(略)驅逐艦初霜(ハツシモ)昭和九年九月二十七日竣工致候處千九百三十年「ロンドン」海軍條約第十條(ロ)項ニ依ル細目左記ノ通ニ付關系各國ヘ通知方可然御収計相成度(以下略)』〕、同日附で初霜艤装員事務所は撤去〔『○事務所撤去 驅逐艦初霜艤装員事務所ヲ浦賀船渠株式會社浦賀工場内ニ設置中ノ處一昨日二十七日撤去セリ』〕。松原少佐も初霜初代駆逐艦長となる〔昭和9年9月28日付 官報第2324号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958800 p.6〕。同年11月15日、松原は海軍軍務局局員〔昭和9年11月16日付 官報第2364号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958840 pp.10-11〕へ転任(後日、松原は阿賀野型軽巡洋艦1番艦阿賀野艦長、翔鶴型航空母艦1番艦翔鶴艦長等を歴任)。後任の初霜駆逐艦長は宮坂義登少佐(佐世保鎮守府参謀)となった〔。 1935年(昭和10年)10月15日、宮坂(初霜艦長)は砲艦嵯峨艦長〔昭和10年10月16日付 官報第2638号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959117 p.3〕へ転任(後日、宮坂は駆逐艦漣や電艦長を経て第18駆逐隊司令。同駆逐隊は米潜水艦グロウラーの雷撃により大被害を受け《駆逐艦霰が沈没、不知火と霞が大破》、宮坂は解任)。後任の初霜駆逐艦長は、睦月型駆逐艦7番艦文月駆逐艦長山田雄二少佐となる〔。 1936年(昭和11年)12月1日、山田(初霜艦長)は白露型駆逐艦9番艦江風艤装員長〔昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.22〕へ転任(翌年4月、江風初代駆逐艦長。1942年8月28日、第20駆逐隊司令として戦死)。後任の初霜駆逐艦長は鈴木正金少佐〔昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959458 p.24〕。 1937年(昭和12年)12月1日、鈴木(初霜艦長)は連合艦隊参謀(第一艦隊参謀兼務)へ転任。後任の初霜駆逐艦長は、樅型駆逐艦17番艦蓮駆逐艦長塚本守太郎少佐となる。 1938年(昭和13年)1月12日、初春型3番艦若葉艦長澤村成二少佐は初春型6番艦夕暮艦長に転任。これに伴い、塚本(初霜艦長)は、初霜および若葉の艦長兼務を命じられた〔。12月1日、睦月型駆逐艦10番艦「三日月」艦長大島一太郎少佐が若葉駆逐艦長に任命される。同日附で塚本(初霜艦長)も艦長兼務を解かれた〔。 1939年(昭和14年)10月16日、塚本(初霜艦長)は睦月型8番艦長月駆逐艦長へ転任(後日、塚本は朝潮型駆逐艦7番艦夏雲艦長。サボ島沖海戦で夏雲沈没時に戦死)。後任の初霜駆逐艦長は文月および長月駆逐艦長を兼務していた本倉正義少佐となる〔。 1940年(昭和15年)8月20日、初霜駆逐艦長は本倉から睦月型9番艦菊月駆逐艦長浜中脩一少佐に交代する(翌年4月、本倉は吹雪型夕霧駆逐艦長、陽炎型駆逐艦10番艦時津風沈没時艦長、夕雲型駆逐艦13番艦浜波艦長等を歴任)。 1941年(昭和16年)9月10日、浜中(初霜艦長)は白露型駆逐艦8番艦山風駆逐艦長へ転任(翌年6月23日、浜中は山風が米潜水艦ノーチラスの雷撃により撃沈された際に戦死)。後任の初霜駆逐艦長は古浜智少佐となる。初霜は古浜駆逐艦長の指揮下で太平洋戦争を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「初霜 (初春型駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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